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親鸞会 Nagano Yamanashi

親鸞会 長野・山梨
     
特集
親鸞会 長野・山梨

大きな船に救われて
 この世から光明輝く世界に

 苦悩の根元を破って、明るく楽しい人生を生き抜く道はあるのでしょうか。

「難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」(教行信証総序)

 親鸞聖人が最後まで手元に置かれ、繰り返し筆を加えられた主著・『教行信証』の冒頭にあるのが、このお言葉です。

親鸞会 長野・山梨「難度海」とは、苦しみの海のことで、この人生を言われました。古今東西の人類は、難度海におぼれ、潮水をのまされ、もだえ、のろい、苦しんでいます。

 それらの人々を救い上げ、四方の景色を眺めつつ、楽しい人生航海をさせる大船が、「難思の弘誓」です。想像もできない、不可思議な「阿弥陀如来の本願」のことです。

 およそ2600年前、仏教を説かれたお釈迦さまはおっしゃいました。
「大宇宙には、地球のようなものが数え切れないほどある。この釈迦が、この世に現れたがごとく、それらの世界にも、ガンジス河の砂の数ほどの仏が現れて、仏教を説き示しているのだ」
と。これら無数の仏方を、「三世十方の諸仏」といいます。蓮如上人は分かりやすく、
「弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師・本仏なれば」(御文章二帖目八通)
と書き残しておられます。

「弥陀如来」とは、阿弥陀如来のことです。「本師本仏」とは、「本師」も「本仏」も、先生という意味ですから、大宇宙のすべての仏方の先生が、阿弥陀如来なのです。お釈迦さまや、大日如来、薬師如来といった、よく知られている仏も皆、阿弥陀如来の生徒であり、弟子なのです。

「諸仏の中の王なり」
とも、経典には説かれています。

 阿弥陀如来は、難度海におぼれるすべての人の苦悩の根元は、無明の闇であることを見抜き、それを破ってみせるという誓いを建てられました。それが、阿弥陀如来の本願です。

「無碍の光明は、無明の闇を破する慧日なり」
とあるのは、そのことです。阿弥陀如来の光明(本願のお力)は、十万億土の彼方から、あらゆる障害を貫き(無碍)、私たちの後生暗い心をぶち破る、智慧の太陽(慧日)なのです。

親鸞会 長野・山梨「天に二日なし」
といわれるように、空に太陽は一つ。闇を破ってくださる仏さまも、大宇宙に阿弥陀如来しかおられません。

 この弘誓の大船に乗せていただけば、無明海が光明の広海と転じ、明るく楽しい人生に大転換いたします。今日あって明日なき幸せしか知らない私たちが、絶対に崩れることのない「絶対の幸福」に救われるのです。

 それだけではありません。弥陀の本願の大船に乗った人は、必ず浄土へ往けますから、「往生一定」といわれるのです。阿弥陀如来の極楽浄土へ往って、弥陀同体の仏に生まれることが、この世から定まってしまう大益です。

 親鸞聖人はご臨末に、
「我が歳きわまりて、安養浄土に還帰す」
とおっしゃったことが、よく知られています。

「親鸞、いよいよ死んでいかねばならないが、往く先は、阿弥陀如来の極楽浄土だ」
と、まったく迷いなく、おっしゃっているではありませんか。29歳の御時、聖人はすでに、本願の大船に救い摂られていましたから、お亡くなりになるまで、往生一定の身に変わりはなかったのです。

 これは聖人だけの救いではありません。本師本仏の阿弥陀如来は、全人類を絶対の幸福に助けるという、広いお約束をなさっているのですから、「弘誓」です。私たちも親鸞聖人と同じ世界に出させていただくことができるのです。

 分からなかった後生が、往生一定とハッキリし、この世は絶対の幸福、死ねば浄土往生の、無上の幸せに生かされる、明快な人生の目的を示されたのです。その身になるには、仏法を真剣に聞きなさいと勧められます。

 長生きして老後を迎えられた方も、また若い人も、仏法を聴聞し、生きる目的に向かってこそ、輝く人生が開かれるのです。

(おわり)

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