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特集
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すべての人の心が闇

 では、「疑情」とは何でしょう。これは「無明の闇」とも聖人が教えられる、暗い心のことです。『正信偈』には、
「已能雖破無明闇」
とあります。

 覚如上人は、
「生死流転の本源をつなぐ自力の迷情」
とおっしゃいました。

 蓮如上人はまた、「三世の業障」とか、「無明業障のおそろしき病」とおっしゃっています。

 言葉は違っても、善知識(正しい仏教の先生)方は皆、苦悩の根元を教えていかれました。このように、本当の苦しみの根本を教えられる方を、「真の知識」とか「善知識」といいます。

親鸞会 長野・山梨 その善知識とは、
「苦悩の根元は、無明の闇一つである」
と真実の仏教を説かれる方だということです。

 そんな知識に出会うことは、「難きが中になお難い」とおっしゃいます。無明の闇がいかに知り難いか、お分かりでしょう。

「無明」とは、「明かりが無い」と書きますので、暗いということ。意味を重ねて、「無明の闇」と親鸞聖人はおっしゃっています。

「暗い」とは、分からない、ハッキリしないことをいいます。
「あの人は機械に暗い」
といえば、機械に疎い人のことですね。

「この辺りの道には暗くて……」というと、地理に不案内なのでしょう。

 無明の闇は、「後生暗い心」ともいわれるように、死んだあと(後生)が分からない心をいいます。

 死ねばいったい、どうなるのか。
「死んだあとなんて、ないよ」
と答える人もあるでしょう。

「誰でも極楽へ往けるんじゃないの」
という気楽な意見もあるようです。が、
「本当にそうか」
と追及されると困るのではないでしょうか。
 死んだあとがなかったり、結構な世界へ皆、行っていると本気で思っているなら、理解できないことがあるのです。

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