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親鸞会 Nagano Yamanashi

親鸞会 長野・山梨
     
特集
親鸞会 長野・山梨

人生最大の関心事
 苦しみの根本は何だ!?

 私たちが生きる目的は、幸福になることといえるでしょう。不幸を望んでいる人は考えられません。

 ところが現実には、苦しみの充満している人生であることは、ご承知のとおりです。

 家康は、
「人の一生は、重荷を背負うて、遠き道を行くがごとし」
と言い、林芙美子さんの、
「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」
という言葉は、今でも多くの人の心を打つようです。

 親鸞聖人は、人生を海に例えて、苦しみの波の絶えない「難度海」とか「苦海」とおっしゃいました。
 私たちは、一体、どうして苦しむのでしょう。
「そりゃあ、金がないからだ」
「借家住まいだからさ」
「もっと出世したい」
「結婚に失敗した……」
「不孝な子供を持ったからだ」
といったことを理由に挙げる人が多いかもしれません。
 もしこれらが、苦悩の根元であるならば、家康の嘆きはないはずです。天下を治め、日本中の金銀を支配し、何人もの妻と子供に囲まれていた家康は、重荷という苦しみを、なぜ下ろせなかったのでしょうか。

 親鸞聖人は、「金がない」「財がない」「妻子に恵まれない」といったことは、苦しみの根本ではないと教えておられます。

「真の知識にあうことは
 かたきが中になおかたし
 流転輪廻のきわなきは
 疑情のさわりにしくぞなき」

         (高僧和讃)
 苦悩の根元をズバリ、教えられたお言葉です。

「流転輪廻」とは、車輪が回るように、同じところを抜け出せないという意味で、苦しみのこと。

「きわなきは」とは、「際限がないのは」。苦しみに終わりがないのは、ということです。

 それは「疑情」一つが原因だと教えられたのが、
「疑情のさわりにしくぞなき」
です。

 これを『正信偈』には、
「還来生死輪転家
 決以疑情為所止」

とおっしゃっています。

「生死輪転の家に還来することは、決するに疑情を以て所止と為す」
と読みます。

「生死」は、苦しみのこと。「輪転」は、車輪のようにグルグル回ること。
「家」とは、そこから離れ切れないことをおっしゃいました。

「還来生死輪転家」とは、「苦しみが絶えないのは」という意味で、「流転輪廻のきわなきは」と同じ意味になります。

 その原因を、「決するに、疑情をもってとどまるところとする」と断言なされました。ここでも、疑情一つで全人類は苦しんでいるのだ、と断定されているのです。実にスゴイお言葉です。

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