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特集
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高齢化社会の最大矛盾

 介護保険制度がスタートしたのは、平成12年のこと。世界の国々でも、21世紀の高齢化社会をいかに乗り切るか、様々な議論がなされているようです。安心できる老後を迎えたい気持ちは、すべての人にとって共通といえましょう。

 でも、ちょっと待ってください。年金がしっかり受給できれば、それで、安心できますか。介護してくれる人がいれば、思い悩むことなく人生を終えることができるのでしょうか。

 親鸞聖人は教えられます、多くの人々が忘れている、最も大事なことを。それは、老後よりも確実な未来なのです。

「世の中の 娘が嫁と花咲いて
   嬶としぼんで婆と散りゆく」

 一休は、女性の一生をこう歌っています。
「娘」とは、女性の最も良い時代。制服に身を包んでいた、ほら、ついこの間のことですよ。
 それが家に入ると、「嫁」と花咲きます。
 それまでしおらしかったお嫁さんでも、子供を生むと途端に発言権を増し、鼻息が荒くなるので、「嬶」とは、女に鼻と書くのでしょうか。
親鸞会 長野・山梨 やがて額に波が寄り、「婆」と散りゆくことになります。なにぶん、500年前の一休の狂歌ですから、お許しください。男も同様です。

 時は、刻々と移り変わっていきます。ついこの前21世紀に入ったと思っていたら、すでにもう2006年。

 光陰矢の如し。何ともなかった体が今は思うようにならん、と嘆く人もあります。目も耳も歯も足腰も、急速に衰えていきます。
「老いて動けなくなったら、どうしよう」
「病気になったら、息子は面倒みてくれるかしら」
「貯金は足りるだろうか」
「この家に居させてもらえるだろうか」
 私たちは、日々確実に、「老い」に向かっています。介護保険について、国会で激論が交わされたのも、大事な問題だからに違いありません。

 

どっちが大切か

 ところが世の中には、結果として老後の心配をしなくてもよかった人があります。若くして事故死したり、病気で帰らぬ人となった場合です。

「老後」は、すべての人が100パーセント、迎えるものではないことになります。

 誰しも老後へ向かっているのですから、高齢社会への対策は不可欠ですが、万人が、必ず迎える未来の対策は、老後よりもっと大事ではないかと提言するのです。それが、「後生」であり、「死後」のことです。

「散る桜 残る桜も 散る桜」
 長生きしたといっても、永遠に生きられるものではありません。命が尽きれば、今夜からでも後生です。老若男女、これには例外がありません。全人類の確実な未来は、「老後」ではなく、「死後」なのです。

「死んでからのことは、死んでみにゃ分からん。つまらんこと言うな」と言う人があります。では、
「火災や老後のことは、そうなってみにゃ分からん。つまらんこと心配するな」
と言えるでしょうか。マイホームを建てれば、火災保険に入ります。火災で家を失う可能性は、1パーセントにも満たないといわれますが、万が一のことがあれば大変だからです。

 にもかかわらず、100パーセント迎える「死後」を心配しないのは、自己矛盾も甚だしい。

 将棋の名人は、何十手先を読んで、駒を進めるといいます。相手が次の一手を指してから、
「ありゃー、しまった!」
と言っているようでは勝てません。人生の名人は、一生の最後に、何があるかを読める人ではないでしょうか。

 真実の宗教たる仏法には、古今東西の全人類に共通する問題「死んだらどうなるか」に、明確な解答が示されています。

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